第7回コラム/「美しい空間」 究極の空間「茶室」 「茶室」とは、主人が客を招いて、もてなしのために茶の「お点前(てまえ)」をする空間のこと。正式な茶会では、主人が客に招待状を出し、懐石料理や酒の肴なども用意して、その合間合間に茶を点(た)てます。本来の茶会は茶を飲むことが目的ではありません。茶室は主人と客の濃密なコミュニケーションの場なのです。茶会では、懐石料理、酒と肴、茶と菓子など招く方や人数など、用途に合わせ様々なもてなし方があります。しかしながら、突き詰めると、茶会とは、主人が客をもてなすためにいかに心を砕いたか、その心尽くしを客が理解することによって、はじめて本来の目的が達成されることになります。茶も茶室も、主人が客をもてなすための心尽くしのひとつなのです。本格的な茶会は、準備に大きな労力と時間がかかるなどの理由により、現在は、主人と客が向き合って茶を飲むことだけに絞った茶席が主流となっています。 茶室の構造について。
高さ幅、ともに60cmほどの小さな出入口があります。慣れていなければ、女性でも身をかがめて入るのに苦労する狭さです。男性ならば、さらに窮屈で不便な出入り口です。この小さな出入口は「躙口(にじりぐち)」と呼ばれるもの。「にじる」とは、両手の拳をついて、膝で進むような動き方のこと。躙口を通る時には、文字通りこのような格好になります。 なぜ茶室は入りにくい構造になっているのでしょうか。躙口は、千利休が京都にある国宝茶室「待庵(たいあん)」に設けた小さな入り口がはじまりとされ、千利休 特有の精神的、思想的な目的が表現されていると言われています。封建社会での身分の上下関係は絶対的なものでしたが、茶室に入るには、地位や身分が高い人でも頭を低く下げなければなりません。そして茶室の中では、自分というものを一度捨て、お互いにひとりの人間として対峙します。つまり、「躙口から入ったら、立場を捨て、無垢なありのままの姿になれ」ということ。それを言葉ではなく、自然な動作によって教える。それが千利休が作り上げた茶室だったのでしょう。日本には国宝の茶室が三つあります。京都 大山崎町にある「待庵)」。京都の大徳寺 竜光院(りょうこういん) 書院にある「密庵(みったん)」。愛知県犬山市にある「如庵(じょあん)」。「如(じょ)庵(あん)」の外観は柿(こけら)葺(ぶ)きの屋根、薄い板を幾重にも重ねた精緻な美しさ。華美な装飾を一切拒否し、まるで山の中の小さく粗末な家のように、侘びの風情を醸し出しています。茶室の中に入ってみると、そこは別世界。小間と呼ばれる四畳半ほどの密室です。決して広くはありませんが、狭苦しくもありません。これは、茶人・織田(おだ)有楽(うらく)斎(さい)の空間に対する考えを表現したもの。ほの暗い茶室で、主人と客はお互いの息づかい、気配と体温を感じながら同じ時間を過ごします。茶室は侘び寂びを表現した究極の空間。その風情を感じてみてはいかがでしょうか。
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Praiseが考える「美しいもの」とは…
「美しい」という基準は人それぞれです。モノ、絵画、写真などに込められた笑顔や風景など世界には美しいものが溢れています。しかしながら、そのどれもが、すべての人に美しいと評される事はありません。Praiseが考える「美しい」とは、より多くの人が心穏やかに素敵だと共感できるものだと思います。Praiseの伝えたい「美しい」が多くの皆様に共感していただけたら幸いです。

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